「恋する少女にささやく愛は、みそひともじだけあればいい (GA文庫) 畑野ライ麦」短歌って解釈自由で面白いな
あらすじ
高校生の大谷三球は新しい趣味を探しに訪れた図書館で、
ひときわ目立つ服装をした女の子、涼風救と出会う。
三球は救が短歌が得意だということを知り弟子として詩を教えてもらうことに。
「三十一文字だけあればいいか?」
「許します。ただし十万文字分の想いがそこに込められてるなら」
日々成長し隠された想いを吐露する三球に救は好意を抱きはじめ、
三球の詩に応えるかのように短歌に想いを込め距離を縮めていく。
「スクイは照れ屋さんな先輩もちゃんと受け止めますから」
三十一文字をきっかけに紡がれる、恋に憧れる少女との甘い青春を綴った恋物語。
短歌よくわかんないんだけど面白かった。書き手によって31文字で書かれた文章に、勝手に脳内で物語を付属させ展開させる読み手の想像力が合わさって出来上がる短歌の世界、面白かった。
夢破れて短歌あり
顔面にボールがぶつかり球児としての夢を諦めた主人公・サンタが新しい趣味探しに図書館へ行って、偶然出会った少女・スクイから一句短歌を一緒に作ってもらい、そこから短歌作りにのめりこむようになる物語。
夢を諦めなければならなくなった主人公が次の趣味を探して新たなものを見つけるお話として面白かった!
サンタは夢を諦めたは諦めたけれども、少なくとも作中で表向きではさほどそれを後悔しまくっている様子がない。顔面にボールがぶつかることとなった原因の友人とはあまり会話していないが、新しく出来た趣味である短歌の魅力を知ってどんどんのめりこんでいるし、スクイと作った句会というライングループですぐさま添削してもらえる気持ちよさで更に興味を持っていく。
この、ライングループですぐさま添削してもらえるっていうの、始めたて初心者にとってはすごく嬉しいよね。最初のうちは右も左もわからず自分がやっているのが正しいのかまるでわからないし一緒にやる相手もいないからなんとなくやめてしまうのも多い。けれど、サンタの場合はスクイという最高の位置にボールを投げ返してくれる相手とのキャッチボールで練習を続けていく。そんなの辞められなくて永遠にキャッチボールすることになる。
しかも、偶然見つけた短歌VTuberに投稿するという趣味も得たおかげで、もっと良い句を作ろう、伸びようというやる気もブーストされる。新しく趣味を始めるのはめっちゃ理想的な環境やんけ。
それなりに褒めつつ添削してくれるクローズドな場所、そのクローズドな場所で出来たもののなかでも頑張ったものを投稿するオープンな場所。そんなんめちゃくちゃ伸びるわ。
という新しい趣味に邁進している状況ながらもサンタが実は野球に対してまだ思い入れや未練のようなものがあるのだろうと、作られる短歌から察せられる作りなのが面白い。
サンタが作る短歌のなかには、時たま野球を題材にしたものが混ぜられる。たった31文字だけで構成されたもののなかにも、スクイのような短歌上級者や、ここまでの物語でサンタの状況を知った読者だったら「これはそういうことじゃねえの」「やっぱり未練があるんだ」「野球したいんだな」というのが伝わって来る。地の文のサンタはさほどそういう様子には見せていなくとも。そういうの、うまいし面白い。自分の気持ちを31文字に込めるってそういうことなんだな。
みそひともじに込められた思いを読み解け
たった31文字のなかに込められた思いや願い、伝えたい内容。幼い頃から短歌に慣れ親しんでいたスクイはそれらをすくい上げて行く。また、短歌VTuberも投稿されたサンタの短歌からそのバックグラウンドを想像して世界を描いていく。31文字に圧縮された思いや感情、出来事を展開するのに慣れた人だから出来ることだよなー。
と思いながら、わたしはその「31文字に詰め込まれているものを展開する」っていうのを理解してなかったから短歌の楽しみ方がわかんなかったんだろうなと、過去に見た二次創作短歌たちを思い出した。
二次創作短歌の楽しみ方って正直良さが全くよくわからなくて、15年ぐらい前に個人サイトの小説の最後に良く見た巨タイと近いものがあるというか、何にでも当てはまるようなふわっとしたポエムに感じる。まあ同人小説だって母音とハートで8割構成された小説だったら何にでも当てはまるんだけどね! 特大ブーメラン。
短歌ってそういうふんわかした雰囲気のなにかだと思ってたんだけど、でもこの小説読んで、その31文字の後ろにある物語を勝手に脳内で妄想して展開するものなのかもしれないって思った。
自ジャンルのあのキャラだと思って見ればエモく見える、それで良い。他のキャラが当てはまるかもしれない。それはお前の脳内の展開によるもの。
この『恋する少女にささやく恋は~』では、サンタの作った短歌がVTuberを思い描いたものだと勝手に解釈して勘違いして裏切られた気分になるスクイが物語の山場だけれども、それ以外の人たちだってサンタの作り上げた31文字に己の解釈を乗っけていく。最初の野球の短歌だって勝手に背景を妄想して重ねる。最後の最後ではサンタの短歌に込められた感情は恋愛感情ではなく友情だと解釈される。
それで良いんだな、短歌って。短いからこそ勝手にバックグラウンドを想像して乗っけられる。仔細をそこまで描かれないからこそ好き勝手な妄想が出来る。だから良いのかもしれない。
例えば、日本で一番有名な短歌と言えば間違いなくサラダ記念日だ。
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
この短歌だって、「これは異世界から召喚されてこの世界に現れた勇者が何を食べても元の世界とは違っていて口に合わなくてつらそうなかおをしていたけれども、今回出した料理に『この味がいいね』と言ってくれた。それはサラダではなくメピシャリアンという主食だけれども今日からこれをサラダとし、サラダ記念日としよう』というバックグラウンドがあるかもしれない。
そこまで荒唐無稽じゃなくとも、この味がいいねと言ったのが野菜嫌いの子供だったり、もしくは言われた視点の側がなんでもかんでも記念日扱いするハッピー記念日人間だったり、様々な可能性がある。
それらの細かい情報をそぎ取った上で31文字に凝縮されるし、だからわたしたちはそれをどう受け取って、どうバックグラウンドを妄想しても良い。
最後なんだこれ
なんか最後すげー雑に使用人さんがサンタ争奪戦に首突っ込んできたんだけどなんだこれ。いきなりすぎてよくわからんかった。それまでのマリアさんとの良い雰囲気やスクイとの可愛い恋愛はわかるんだけど、突然好きなアイドルに似ているんですよー!ドドンとか来てなんだこれとなった。なんだこれ。