ピローマン 2024/10/04ソワレ(プレビュー公演)
あらすじ
作家のカトゥリアンはある日、「ある事件」の容疑者として警察に連行されるが、彼にはまったく身に覚えがない。二人の刑事トゥポルスキとアリエルは、その事件の内容とカトゥリアンが書いた作品の内容が酷似していることから、カトゥリアンの犯行を疑っていた。刑事たちはカトゥリアンの愛する兄ミハエルも密かに隣の取調室に連行しており、兄を人質にしてカトゥリアンに自白を迫る。カトゥリアンが無罪を主張する中、ミハエルが犯行を自白してしまう。自白の強要だと疑うカトゥリアンは兄に真相を問いただすが、それはやがて兄弟の凄惨な過去を明らかにしていく……。
キャスト
成河:カトゥリアン
木村 了:ミハエル
斉藤直樹:トゥポルスキ
松田慎也:アリエル
大滝 寛:父
那須佐代子:母
感想
前半を見終えた時点でものっすっごく疲れたが、後半も見終えたあたりでもうめちゃくちゃに疲弊し切るタイプの舞台だった。出来ることなら見終えたあとに肉とか食いたい。カロリーを摂取したい。そう思う傾向の重たい話。
前半見終えた時点では成河さん主演の人間風車を思い出していたが(童話作家が描いた物語に沿って知的障害者が殺人を行う)、後半見終えたあたりで何故かMOJOを連想した。アリエルが父親から性的虐待を受けていた話をしていたのと銃殺あたりかもしれない。
トリガーアラートしてるだけあってそこらへんはきつかったなと思うが、一番きつかったの子供の死体の人形かも。ぐらっと来た。
続いて音響。暗転時のぐわんぐわんと来る音響が平衡感覚をぶっ壊してくる感じで、耐えられなくて暗いのを良いことに耳をふさいだ。ハウリング?反響?遠くて近くてぐらぐら来るのがかなりきつかった。
すごく引き込む物語ではあったのだけれども、キャラクターはそれなりに感情移入しづらかった。特にカトゥリアンに内心ところどころ反発していた。
カトゥリアンは、自分の書いた物語が残るようにと刑事らと交渉する。そのために子ども殺しの自白をし、添付資料として自分の書いた物語をつけることによって、物語自体を燃やされたりせず残そうとする。50年間誰にも見られないようにしつつ残すという交換条件と引き換えに、してもいない子ども3人殺しの自白も行う。
逆に、そうでもしなければカトゥリアンの物語は本来は残らなかった。子ども殺しをカトゥリアンが引き受けなければ彼の物語は残されることはないために、彼は兄の行った犯罪も全て自分のものにした。
けど、50年も誰にも見られない物語って、意味があるのかな。
物語って読者がいるから存在するものであって、読者がいなければそれはないと一緒だ。カトゥリアンは雑誌にまともに掲載されたのは1回、あとは兄に話しているのがメインだった。兄、自分、そしてそらで語れるぐらいに読み返す自分という読者がいたからこそ物語は成立したのであって、読者のない物語っていうのは物語足り得るのだろうか。50年後に誰か読むとしても、カトゥリアンが連呼していたように「今風のバッドエンドの物語」なのだから、50年後は誰にも好かれないし見向きもされないなんてあることじゃないのかな。
あとぶっちゃけ兄の殺しがカトゥリアンの書いた物語を元にしているのならばそこをうまく交渉材料にするとかなかったんすかねと思わなくもねえな。
などと思いはしたけれども、それはそうとして物語にはぐいぐい引き込まれた。半月ほど前に見た舞台がそういう部分がまるでなく物語に引き込まれず終始ウーンという気分だったのに、こっちはキャラクターに感情移入は出来ないが物語がこの先どうなるかはずっと気になり続け、キャラクターに引っ張られる。
これは主演の成河さんの演技力が化け物みたいなのもあるんだろうな。長時間延々と一人で喋り倒しても何故か飽きさせず人目を引く演技力に依るものがデカく感じられた。
わたしはどうしても「この人は自分と似てる」→「こいつわたしと全然ちげーや」が発生すると覚めがちなんだけど、その覚める瞬間が無かった。覚める暇もなく物語に引きずり込まれてた。
過去に他のキャストで上演されたものもあるっぽいので、そっちがどうなってるかも気になる。演出家さん同じのと違うのあるっぽいのでどうにかこうにか見てみたい。
悪い刑事、暴力的な刑事として描かれているアリエルがそうなるための過去があるが故に子供狙いの犯罪が許せなかったり、だからこそカトゥリアンが両親を殺したのが幼い子供である兄と自分を守るためで彼自身は子供を殺してないと知って同情してしまう様子、見ていてすごくキた。
これもまた演技がめちゃくちゃに良いからだよなー……ああこの人なにかあるんだろうなというのが伝わってくるし、カトゥリアンの過去を知って態度が軟化してしまいそうな自分を必死にこらえる様子、少女が生きていた事実に安堵するカトゥリアンを悪いやつではないと認識してしまう様子、カトゥリアンは子供を殺していないという事実で彼をどうにか助けてやれないかと考えてしまっている様子だ、どれもこれもすごく胸に来た。本人が自覚しているとおり、子供時代の自分が酷い目にあったからこそ同じような子供を増やしたくない、自分の信じる正義のために戦っている人なんだろうな。法律という正義でも秩序という正義でもなく、自分のなかにある正義の人だった。
良い刑事を自称しているトゥポルスキは、あれなんなんだろうな……あの人も過去に色々あった、その傷をどうにかこうにかして生きている。割と横暴さもあるけれども会話のテンポでそうは見せないようにしている人であり、いろんな仮面を被っている人。そして本人が自称しているとおりこの独裁国家で上の地位にいるだけあってそれなりの良くないやり口も持っている人なんだろう。
アリエルの過去をあれこれ言うのも、結局カトゥリアンが死ぬからだよな。どうせ死ぬやつにバラしたところでなんの問題もない。アリエルめっちゃ怒らせて不仲になりまくってるけれども、彼からしたらアリエルは警察犬で警察官、自分は刑事、別のポジションなんだからそれは当然、みたいな。
一種の傲然さと、アリエルと違って法律と秩序と国家の安寧を正義としているのだなと感じられた。
ミハエル、なにか言おうとするとどうしても人間風車が頭をちらつく。こんな絶妙に話がかぶることがあるのか。
死んだら両親しかいない狭い部屋に挿れられるんだと言うカトゥリアンに「世界で一番嫌いな言葉を言った」からの「兄さんを好きだった」「だった?」で世界で一番嫌いな言葉を更新されたのがさあ……。両親という自分を虐待するばかりの相手から救ってくれたカトゥリアンはミハエルにとって本当にヒーローだったんだろうな。
ピロー(枕)で両親を窒息させて兄を救った弟がピローマンであり、だからこそ走馬灯でカトゥリアンがピローマンポジションでミハエルに会いに行くのはそういうことなんだろう。そのうえでミハエルにこの先にある辛いことを話して「今死んだほうがいいよ」と伝えるもミハエルが「そしたら弟が物語を書けなくなるから」という理由で拒否したのは、どこまでもカトゥリアンの願望であり、そんな理由で拒否してくれたらいいなという願いをものすごく強く感じた。
ピローマンが、子どもたちが苦痛を知る前に死なせてやろうとしたというのは、カトゥリアンが兄にしてやりたかったことなんだろうな。
プレビュー公演というものを見たのは初めてだったのだけれども、最初にスタッフさんが出てきて、観客の反応を見るものでありアンケもよろしく!と言われたの驚いた。そっか、これお試し公演でこのあと本番で変化する可能性あるのか。となると通常公演も1回ぐらい見てみたいよな。
インタビューで言われているとおり、チケットの値段も3種類あって、一番安いZ席は本当にかなり安い。1650円。ただしステージがほぼ見えないとは言われている。とはいえ2階席にあたるB席でも3300円。少し前のチケット代であれこれ言われてる最近の舞台からしたら破格レベルに安い。
ほんと、娯楽で1万超えるのって人に勧めたり誘ったりするの難しいんだよなー……。スリルミーやSOMLは1万ギリギリ切るので誘えるけど、超えるとかなりきつい。その点これは一番高くとも7700円。安すぎん……? 高いチケットに慣らされているせいでそこはかとない「本当に大丈夫なんですか?」の不安が発生してしまう。
しかも、新国立劇場の小劇場(1階は9列、2回は1列)という席数自体がそれほどない舞台で値段わけが3種類。めちゃくちゃどころではなく良心的なほうじゃないか。
ちなみに見たかんじ、どっちかというとBD列側を向いている演技が多いものの、AC側を向いているところもそれなりにあった。ド端での演技は2階席だと自分側の端でされると見えづらそう。ステージが最前より少し上の位置にあるのでAB列だと見るとき首痛そう、BDの中頃センブロが一番見やすいのかな。でもどの位置でも見えるものが違ってあれこれ考えること変わりそう。そういう舞台だった。