『八犬伝』というタイトルよりも、『里見八犬伝を作った男』みたいなタイトルのほうが正しそうな内容。里見八犬伝を描いた滝沢馬琴を主人公に、馬琴が八犬士を書き始め、そして書き終えるまでの物語だった。
前半は素直になれないジジイ二人がそれでも互いの作る作品は最高……!してて面白いんだけど、中盤・終盤は家庭内不和やしんどい現実が続いてきつかったし合わなかった。
後半の重苦しい内容も虚実の対比というテーマを下敷きとしているから大事なのはわかる、わかるんだけどわたしは前半の素直になれないジジイ二人が「お前は性格は悪いが作るものは良い」と言い合ってる雰囲気が好きだったよ!
ジジイ二人の関係性、最高
相手の性格に対してはさんざん悪口を言いつつも互いの才能は理解し合い認め合っている葛飾北斎との関係性が良い。
馬琴も北斎も、腐れ縁っぽさというか、いくら性格面で悪口言われようとも気にしないし相手はそういうことを言うやつだと思うぐらいの関係性なのが良いんですよね。この年になっても仲の良い悪友やってるジジイ二人なんて最高しかない。そして、そのくせ相手の才能に心底惚れきっている。
冒頭で馬琴が北斎に挿絵を描いてくれといい、北斎が「でも文句つけるだろう」と言い返して断る。けれども八犬伝の内容を聞いたらさらさらと絵を描いてしまう。
馬琴は馬琴で北斎がその場で描いた絵に魅入られるし、北斎が目の前でそれを破り捨てるのを愕然と見つめる。この鼻紙にされてしまった絵を愕然と見つめ、ぐしゃぐしゃになった紙を広げようと手に取ってしまうの、どれだけその絵を最高と感じているのかひしひし伝わってきた。
もうこの素直じゃないジジイたちめ。いや素直か、素直ではあるのか。相手の作ったものを好きだしリスペクトしているという部分では最高に素直なんだけれども、けれど口先では相手の性格に文句をつけ合うという関係性。最高だった。
嫁さんからも「ジジイ二人で半日もお喋りして」のような嫌味を言われるほどに、ずーっとじゃれあっているジジイ二人、本当に良かった。
なお北斎が主に出てくるの前半ぐらいで後半はろくに出てこなくなるが……。
繰り広げられる虚実の対比
素直じゃないジジイ二人のじゃれあいは主に前半で、後半からは(さらっと流される)馬琴と鶴屋南北のやりとり、そして大半を占める馬琴の家庭内の不幸が描かれだす。
この家庭内不幸がまあ……見てて別に好みでもないし面白くもないしつまんなくて……。
嫁さんがずーっと『馬琴の嫁』と言われるのを不満に思っていたし、下駄屋の妻としていられたら幸せだと思っていたのは本当なんだろうな。ずっと自分が八犬伝のような馬琴の描く物語を理解できない学のない人間であることを嫌だと感じていたけれども、しかし素直にそれを言えるような性格でもなく、その裏返しで作家としての馬琴を人としてや父親として下げ続けていた。
っていうのはわかるけれども、最後の一言までほぼ恨み節みたいなの、やっぱ見ててキツかったよ。人の死に際の恨み言はきついよ。
息子がその嫁さんより先に亡くなったり、馬琴も次第に目が見えなくなってきて八犬伝を書いていくのが次第にきつくなっていったりと、様々な辛い出来事が馬琴に降りかかる。
しかし、その対比のように――というか対比として、八犬伝の物語は盛り上がり、正義は勝つし悪は負ける。虚実の虚の側では勧善懲悪が成される。
南北とのやり取りでとくに繰り返し出てきたけれども、この映画のテーマ自体がおそらく虚実の対比なんだろうな。南北が「忠臣蔵が虚で四谷怪談が実かもしれない、どちらが虚実かわからない」と話していたのもある。
作家としては報われても家庭を持つ一人の人間としては良いことばかりではなくむしろしんどいことが起き続ける現実。けれども、だからこそ、虚構の世界では因果応報で正義が勝利するハッピーエンドにしたいと強く願う。だから、どれだけ辛くとも書き続ける。そういう意味での創作讃歌でもあった。
とはいえ、わたしは終盤のくっらい展開は好きじゃないし、対比と理解しても見たくねえ~~~~~だったし、最後は北斎に挿絵を描いてもらって売り出して、見えなくとも「見えるぞ、わかるぞ、八犬士たちが揃っている」と笑む馬琴で終えてほしかったよ!!
わたしが前半のせいでこの話にどういう印象を持ったかまるわかりである。
八犬士目当てに行ったらがっかり来そう
八犬士パート、めちゃくちゃ格好良かったんだよ。虚実の虚構サイドだけあって、外連味がありCGも使いまくってて役者も流行りのイケメン使ってて。劇伴も入るし、すごく作り物の虚構であり、ここだけ別の物語です!とわかりやすくキラキラしていた。それも相まって虚構っぽさがとても出ていて良かった。
キャスティング、すごく日テレ版の舞台里見八犬伝を彷彿とさせるよね。なあ! これ絶対制作に日テレ入ってるだろ!? 入ってないの!? すげえ見たことあるキャスティングと方向性が近いんですが!? 今でもやってたら渡邊圭祐絶対キャストには入っているが、犬塚信乃では無いと思います。
わたしの見たことある里見八犬伝は日テレ版舞台里見八犬伝(深作健太版)だけですからね。アレを思い出して「おおっ犬塚信乃だ!」「犬塚信乃と壮助が浜路を取り合って三角関係したりしない……!?」「現八はここでも捕まっているのか……」「小文吾が……デカい……!? 農民じゃない……!?」「あさけの……毛野だ!!!」と、なんとも日テレ版里見八犬伝に囚われたままの人間の思考をし続けていた。
この里見八犬伝作中作パートは、話とびとびで結構いい感じにカットされまくっているが中身はなんとなくわかる。おかげで「嘘だろ……自己中面倒くさ男・信乃のせいで死にまくった八犬士の玉パワーで勝利したりしないのか……」と愕然としたりしていた。あいつ、中身かなり改変しているので八犬伝パートのネタバレにもならねえんだよなぁ。
どう考えても日テレ版里見八犬伝の影響が強いしノイズがデカい。人生で初めて見たまともな舞台がアレだったんだよ。いつかちゃんとした里見八犬伝を見ます。
しかしこの里見八犬伝パート。映画のなかでの扱いとしては、作中作かつ馬琴がこういうの書いていますという描写と現実パートとの対比のためなので、映される時間としてはあまり多くないというか、あまりにも多くない。
わたしはフォロワーが八犬士パート少ないと言っていたから問題なく見れたけれども、これ事前の告知やツイッターでの宣伝、レッドカーペットで八犬士のキャスト来てたのだけを頭において見に行ったらかなりがっかりしそう。求めていたものとかなり違いますが!?て。ツイッターでほぼ最RTされたのが八房だったのを考えても相当……相当なんか間違ってません……?
ここらへん、タイトルを『滝沢馬琴~里見八犬伝を作った男~』にするなり『メイキング・オブ・里見八犬伝』にするなりでそういう勘違いはかなり減らせると思うんですけど、原作が山田風太郎の八犬伝だからな。原作のタイトルだからな。
でも朱野帰子の対岸の家事がドラマ化すると『対岸の家事〜これが、私の生きる道!〜』になる世の中だし、『八犬伝~それを描いた男~』にならんかったんかな。
こうして考えるとなろうタイトルに時々よくある~~の中で細かく記載するのって大事だな。物語の方向性を打ち出して、「こんなん見たいわけじゃなかった」を最小限にする。
このタイトルと実際の内容絶妙に期待していたものと違いません?っていうの、ゲ謎でも感じた気がする。アレも鬼太郎の誕生までの物語なのかなーと思っていたら、世間様を賑わわせる内容的に徐々になんか違うな……?と思い始めて……?みたいな感じだった。
総合感想
なんか変な映画見たなあ……。