「ミラクルが起きる!「手放し」ノート術」自分の神様は自分で作る、スピリチュアルに見えるが案外理解できる

実用書

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要するに、やることは

  • ノートに感情ややりたいことを書き出し整理する
  • 内なる自分と話して目標を明確にする
  • 出来た目標をノートに書き出し無意識に意識させて行動を変える

という内容だ。
それをスピリチュアルと神様というオブラートで包んで飲み込みやすくしたものだ。人によってはオブラートが引っかかってうまく飲めないんだけどね。

ノートに書くことで自らの意識を願いへ向ける

いわゆる引き寄せの法則とかいうものについての説明をしている本書。
時々どころではなく出てくる作者の語りが怪しげと言うかオカルティックというか風水だのスピリチュアルだのそこらへんに向いているし、神様へお願いを届けるノートと言われていて眉に唾をつけて読みたくなる。

しかし、書かれている内容は一貫して「ノートに書くことで自らの意識を『願い』へ向ける」であった。

別の流れで読んだ『プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術』に、下記のような内容があった。

 ちょっと話は飛びますが、まだ街にレコードストアがたくさんあった頃、私はかなりの頻度でそういうお店にレコードを探しに行っていました。そんなとき、欲しかったレコードが向こうから近づいてくる確率は、不思議なことにかなり高かったのです。「ほしいな」「あのレコード、見つからないかな」と思いながらストアのレコードケースを掘り始めたら、数分以内にそのレコードが見つかったという経験が何度もあります。
 といっても「自分には超能力があるのだ」というようなことをいいたいわけではありません。つまり、「向こうから近づいてくる」という感覚ではあるけれども、おそらくそれは、(場合によっては無意識の)集中力によるものではないかと考えているわけです。

誰にだって経験はある出来事だと思う。
それと同じで、これもノートに書いて意識し、結果的に自らがそうなるようにと動く意識改善をするという内容だ。

意識改善の部分を神様だとかスピリチュアルに書いているからうさんくさげに見えるだけで、書いてある内容を理解するとわかりやすい。

頭の整理

TODOリストの作り方の一つに、自分の頭の中に入っている「やらなければならないこと」を全て紙に書き出すというものがある。
書き出すことで自らのやらなければならないことを可視化し、同時にワーキングメモリの開放を行う。
引き寄せノートが行っているのは、ワーキングメモリの開放でもある。

いつも頭の中でふわふわとしていた「願い」を、ノートに書き出して整理する。
ワーキングメモリは解放され、そして上位に来るものだけを頭に残しておくために行動が無意識下に改善され変更される。
結果的に夢や願いが叶う。
そういうところではないだろうか。

って書いててやっぱこれ最初に書いたのと矛盾してるわ。とりあえずこのどっちかじゃないのかなと思う。

自己との対話

作中のノート術の一部で、内なる自分(ハイヤーセルフ)との対話について描かれている。

「Aさんと付き合いたいけどきっと無理……」→「なんで無理なの?」→「Aさんはモテるし」→「だったら魅力的になれば?」と、願い無理だと言い切る自分と話し合い、なぜ無理なのか、どうすれば叶うのかと深堀りをする。
自分の感情や願いを深堀りし、これからやるべきことや目標を明確にしている

明確にしたからこそ、○○をしたい!という願いがわかりやすく、自分でも実行できる範囲となる。

ざっくり今適当にネタを作ってやって見ると、

「手取り100万になりたいけど無理……」
  ↓なんで?
「今の会社で手取り100万になるには恐らく○年かかるだろうし、現在経営が悪化している最中」
  ↓だったら転職すれば?
「転職するにも能力が足りない」
  ↓具体的に転職に必要な能力ってなんだと思う?」
「これが出来ますと見せるためには資格の習得、他には職務履歴書に書けるような仕事内容」
  ↓まず資格はどういうものが良い?
「Aの資格があると便利」

まで持ってきたところで、最終的にノートには神様へ「Aの資格が取れてありがとうございます!」と書く(なぜか「それが出来た」という形式で書くっぽい、これはよくわからない)。
それから「職務履歴書に書けるような仕事が出来てありがとうございます!」とも書く。

自分の神様を自分で作る

本書の中では、神様に願いを届けると書いてある。
基本的には、恋人がほしい場合には「素敵な恋人が出来ました、ありがとうございます」、資格習得を目指す場合は「資格が取れました、ありがとうございます」と、出来たように書く。

神様に願いを届ける。
だが、神様は時として叶えてくれないこともあるし、無理に大きすぎる願いは叶えられない。
このあたりが精神的に優しいのだろうなと思った。

宗教は人を救うためにあるし、責任の一部を自分ではどうにも出来ないからと別の相手に預けるためにある。
この場合は、叶わなかったら自分の努力も足りなかったが神様が叶えてくれなかったのだと責任転嫁できる。これだけで自己を責める部分が減って少しだけ気が楽になるんだよね。

例えば資格取得のために頑張っても、得点が少しだけ足りなかった。この場合は、自分の努力が足りない部分もあるが、神様に願いが届かなかったからと言い訳ができる。
自罰的な性格の人には救いになるのではないだろうか。

そして、この神様は「自分だけの神様」だ。
他の人の願いは叶えたのに自分の願いを叶えてくれないと羨むこともない。自分だけの神様だ。
この神様に対する距離感は、神様の存在自体をなんとなく信じている気もするが、それに寄りかかっているわけでもない、無神教に見せかけた多神教の自分たちには合っているように思えた。

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