劇場版「八王子ゾンビーズ」推しがいて、舞台との差を確認したいなら見ても楽しいかもしれない

映画

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見てきた人

  • 舞台版八王子ゾンビーズを見に行った
  • 推しは藤田玲さん
  • 鈴木おさむ作品はMでもう何もかもがいやになった

感想

ぶっちゃけ、舞台のほうがまだマシだったなあと思った。
舞台より良いところは以下ぐらい。

  • 価格が安い(舞台9800円、映画は普通に見ても1800円)
  • 時間が短いので早く終わる
  • 推しの顔が良く見える
  • タンバリンがない
  • タンバリンがない!

タンバリン、あまりに不要だったな。
代わりに画面側でタンバリン持っていたが……。

舞台は推しだけ見て加点評価なら100点、減点評価なら100点だった。
今回は推しだけ見てても加点で100点無理だった。

始まる前のキャストのトーク、必要だった?

基本的に舞台でもカテコがあまり好きではない。
物語の余韻が消え去ってしまうし、物語から現実まで強制的に帰らせられてしまう。
できる限り物語の世界に集中したいからカテコ自体もあまり好きではない。

と思ってたら、始まる前に現実見せられた。
びっくりした。
いやいらん……キャラクターの話ならまだしも、キャスト自体の話はいらん……。若手俳優好きだがいらん……。

ここは完全かつ完璧にただのnot for me。

八王子市長のどうしようもなさ

これは舞台版から継続。

八王子市長は、息子をゾンビーズたちに殺されたと思っている。
息子である楓が半グレたるゾンビーズたちに唆されて薬の過剰摂取で死んだのだと思いこんでいる。
しかし実際はモデルをしていた楓がストレスに耐えきれずモデル仲間にドラッグを売ってもらい使用し、それに気づいたゾンビーズたちが楓を止めようとするも止めきれず、彼は彼らの住んでいる家で死ぬ。
息子が死んだことでドラッグの使用に気づいた八王子市長は、ゾンビーズたちを責めまくる。
最終的に和尚と共謀し、ゾンビーズを殺した上でゾンビにして永遠の苦しみを与えることとする。

という流れなんだけど、これさあ……。

八王子市長は、自分の息子を救ったゾンビーズたちを殺して苦しみ与えておいてなんか良い話にしてんの、本当になに?
自分の息子がドラッグ頼りになるぐらいのストレスを負っているのも気付かなかったくせに何言ってんのこいつ?
物語をうまいことハッピーエンドにするために、本来ならば背負わなければならない罪を全部消し去られていた。いいねー、ゾンビーズたちが苦しむすべての原因はこの人なのに都合よく許されて……。楓に「憎んでる?」と聞いたのも許されて……。

ひたすら都合よくすべてを許されすぎてしまった人。そのせいで物語のもやもやがこの人に向かう。

2時間→90分の変化、おおまかなシナリオについて

主に削られたのがダンスシーン。
おかげで舞台版でひたすら虚無ってた『羽吹が親身になってダンスを教えてくれるものの、全然真面目にやっていないゾンビたち』というシーンが消え去った。
もしかしたらドラマではあるのかもしれないが、カットしてくれてありがとうと言いたいシーン。

他はあまり大きな差が見つからないと言うか、どこをカットしたのかわからない程度には全体的に虚無い。

ダンスシーンといえば、役者の力量に頼ったアドリブシーンが多いなとも思った。

「でも台本をもらったはいいけど、ゾンビーズのメンバーはほぼアドリブでセリフがなくて。『15分ダンスレッスンでなんかやってください』と書かれていたり……恐怖しかなかったです(笑)」と裏話を披露した。

アドリブは舞台だったらいいんだけど映像作品でそこまで多いと、うーん……となる。
また、アドリブうまい役者が台詞が増えるが下手な役者はあまり手前にでられない。役者自体のシーン差がどうしても発生する。

そもそもアドリブで台詞埋めるな。仕事しろ脚本家。

画面が見づらい

一刃・水刃との戦闘シーンで、謎のギミックとしてCGが使われまくる。
いやこれ必要だった? 画面的に見づらくなるだけで不要ではと思った。

そもそも戦闘シーンというか、全体の画面自体が非常に見づらい。

夜という設定のシーンは、おそらく日中に撮影して暗く見えるようにエフェクトでもかけてるのかとにかく見づらい。
全体的に薄っすらと暗く、キャラクターの表情や、場合によっては誰なのか自体見づらい。
推しの刀持った時の仕草が大好きなのに非常に見づらかった。刀持った直後にくるくる回すところの動きの良さは最高だった。

というか、夜のシーン全体的に無理があったんだなあ……。
満月という設定のはずの夜のシーンも後ろのほうは煌々と明るい。
舞台では明るかろうと『夜である』とキャラクターが言えばそれは夜。しかし映画やドラマなどの映像作品は違う。映像自体でちゃんと暗くしなければならない。

でも暗い場所での撮影って大変なんだよね。わかる。
けど、このフィルターかけました~というだけの見づらい加工はどうかと思うよ……。もしこれが暗いところで撮っていて修正がうまくいっていないのだとしても、どっちにしたって見づらいよ。

増えたキャラクター、消えたキャラクター

舞台→映画によって増えたキャラクターや減ったキャラクターがいる。
それ関連。

海さんが消えたために消失した外見への嘲笑

そして、舞台には一人の女性芸人が出ていた。俗に「ブスキャラ」と言われることの多い彼女。本人もそれを仕事としてイジられに出るわけだが、まあ、その容姿イジリがウケにくかった。夢を求めて舞台を見に来ている女性客にとっては、好みではなかったのだろう。

いやそういう理由じゃねえんだわ……。
いつまでも古臭い外見イジリとかいうのをやっているのがアウトで、それは男性も女性も違いないんだわ……。

胸糞悪い、今が平成令和の世の中だというのも理解していないようなギャグは、対象たる海さん自体が消失したことによって消え去った。
おかげで嫌なギャグが消え去って見やすくなった。

海さん・太山さん・下田をまとめたために和尚の無能化が促進

舞台では仲間であった海さん・太山さんの二人、寺側の人間でありどちらかといえば和尚の側の人間ではあるものの最後の最後で羽吹についた男である下田。
これが全部合わさって宝田という男になった。
そのせいで、和尚の無能化が加速した。

いやいやいや、羽吹がなんかやらかしている、それに宝田も関わっているっぽいとわかっていながら、何故和尚は宝田を放置してるんだ。羽吹は牢に入れておきながら何故宝田は放置しているんだ。
馬鹿なのかな。馬鹿なんだろうな……。
舞台だと海さん太山さんは寺の人間というより用務員さん的なポジションのおかげで完全なる和尚の支配下ではないためまだ理解できたんだけど、宝田は完全に寺の人間なので普通に和尚がアホ。

この3人を下手にまとめてしまったせいで、『もう宝田がゾンビたちを助ければ良かったんじゃない?』と思ってしまった。
寺側の人間たる宝田が協力してくれるならもっと楽にいくでしょ。

水刃、存在意義は?

舞台では存在しなかった一刃の妹たる水刃。
必要あった?と言われればなかった気がするんだよな。
戦闘シーンでもそれほど活躍しているわけでもなし、いなくて問題ない。人斬りキャラなんて1人で十分だった気がする。一刃ほどの見せ場があるわけでもないしね。

水刃を追加する分、宝田を下田と太山さんの2人に分割してほしかった。

キャラクターの魅力の出し方

舞台→映画で、観客側に見える範囲が狭まった。
舞台ならばゾンビーズ8人+羽吹がいるシーンで全員が視界に入る。なんなら双眼鏡で推しを大きく見る事もできる。

しかし、映画はカメラがある。カメラで映している部分しか見えないために、推しは見えないし、画面外でそのキャラクターが何をしているかわからない。
なので、個人個人のキャラクターがどういう性格なのかものすごく分かりづらい。

舞台なら8人いようともかろうじてシーンごとに注視することでどういう性格か理解出来た(実際に全員分は出来なかったが推しぐらいは把握出来た)のが、映画では映っているシーンが少なすぎてほぼ全くどういうキャラクターなのか理解できなかった。

私は推しの藤田玲さんが比較的出番が多かったので割と暴力的かつよく喋るキャラクターかなあという程度は把握できる。出来た……と思う。たぶん。
しかし他のキャラの性格はほぼ全くわからないんだよね。メインである仁は出番が多いのでわかりやすい。それ以外のキャラクターが問題だ。

ギャグに瀧と快斗が使われる、三太と四太はセットで扱われる。あとは誰がどういうキャラか全然わからん。
一応とばかりに最初のあたりにカラオケ映像を使ったようなキャラ紹介の歌があったんだが、あれ全然キャラクター性が理解できない。
知的で爆弾が作れるという設定(舞台版から継続、映画でもキャラクター紹介に記載されている)快斗、映画だけ見て本当に知的に見えるか? その『爆弾が作れる』の部分、舞台では一刃との戦い部分で使用されているから意味があったが、映画だと設定自体が死に設定になっている。

一刃様は一刃様で、舞台だと市長が暴言ぶつけられているのを見て一人爆笑して他の寺の人々に諌められたりともっと子供っぽくて可愛かったんだよな。あの部分好きだったのにシーン自体が全部カットされていた。というか市長が羽吹くんを何故か楓に重ねているシーンがほぼカットなんだよな。

楓のギミックがわかりづらい

楓のギミックも上記のキャラクターが理解できないものと同じ。
舞台版ゾンビーズの記事で数少ない褒めた箇所なんだけれど、舞台ではこの楓のギミック部分はかなりうまい。

舞台版で、羽吹は人の話をしっかり聞く人だ。
自己紹介の歌の部分で、一人一人の紹介のたびに羽吹はそちらを向いてしっかりと聞いている。しかし楓のときだけは話を他のキャラとおしゃべりをしていて話を聞いていない。
そういったシーンがいくつも重なっていて、2回めに見たら確実にわかるが1回目ではギリギリわからないラインになっている。

対して今回は献杯のシーン含めてどれもこれもしっかり『7人』と明言していて、そこに誰がいるか認識できたらもう一発でわかっちゃうんだよな。
逆にそこ以外ではわかりづらすぎる。

今回の映画でももっと画面が広かったりすれば楓が視界に入り羽吹の他のキャラとの態度の差がわかりやすかったかもしれないんだけど、今回は分かりづらかった。
なのでネタ明かしのときも舞台版の時にあった「ああ~~~!」がなかった。

舞台向きのキャスト、映像向きのキャスト

見ていて、舞台向きのキャストと映像向きのキャストがいるなと思った。

羽吹役の健二郎さんは間違いなく映像向きだなと改めて思った。
また、松岡充さんも映像向きに思えた。

早乙女友貴さんや勝矢さんは舞台向きだなあ。
早乙女友貴さんの場合は演技が舞台向きというよりも、一刃というキャラクター自体が映画というある程度地に足ついた場所ではなく舞台という一種のファンタジー世界のほうが似合っていたとも言う。

普段の居場所が違いそうな役者さんたちの演技が混ざっているのは面白かった。

総まとめ:舞台との差をみたいなら行っても良いが、単体ではおすすめしたくない

推しを人質にされてるなら見てもいいと思うけど、そうでもないならおすすめしない。
舞台にしても、推しを定点カメラで見られるなら良かったが、それ以上は……。

もともと舞台は加点方式で100点減点方式で-100点みたいな舞台だったが、加点するポイントが大幅に消え去り減点ポイントは増えたことで加点方式でも0点みたいな映画になっていた。

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