「教え子に脅迫されるのは犯罪ですか? 5時間目」ラノベ作家巻で箱根旅で作家と編集者の関係

★★★★☆,MF文庫Jお仕事,現代

教え子に脅迫されるのは犯罪ですか? 5時間目

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あらすじ

新企画の取材で箱根温泉を訪れる天神とヤヤ。
だが、同行するはずの編集の姿はなく――代わりに現れたのは天使と悪魔!?
「ここにいる理由はひとつ。天くんは、ヤヤと子づくり中だ」
「そ、それならわたしもたくさんつくってますけど! らぶらぶちゅっちゅで幸せいっぱい、昨日もつくりましたけど!?」
「私だって、今日はつくらせないこともなくなくないし……」
――ヤヤ、星花、冬燕のJC春休み組は、それぞれ独自理論で天神との温泉プランを目論むも、そこにもう一人の招かれざる客が現れて……? 
湯けむり温泉殺人事件、四角関係大決戦編!
これは恋と才能、そして信念の物語――『ヤヤは、天くんのことが、大嫌いだ』

ブルータス、お前も犯人か。から始まり、てっきり3巻のロジカルマンお手紙事件のようにミステリーをかましてくるのかと思いきや、そういうこともなくラノベ作家巻。
ラノベ作家巻とは言えども天神先生は根っこのところが塾講師なので教え諭す人という部分もあれど、これは間違いなくラノベ作家巻。

ところで、1巻がラノベ作家の部分と塾講師の部分が塩梅良く入り混じり、2巻3巻が塾講師、4巻5巻がラブコメラノベ作家巻となると、このままラノベ作家部分をメインで物語としてもっていってしまうのか、それともターン制なのかが気になるところ。
今回言及されたようにメインヒロインっぽい顔をしている星花が塾の生徒じゃなくなる以上塾メインにすると関われる回数が減るのでラノベ作家部分が軸になっていくんだろうか。それはそれで、凛やひらり、リョウたちに愛着を持ってしまったので悲しいなあとは思う。小学生をメインヒロインに出来ないからどうしても中学生たちが出張るラノベ作家部分をメインにするというのはわかるけれども。
いや嘘です、わたしが1巻読了時にこれはメインヒロインが実はシャークじゃないかと思ったから塾講師パートがほしいだけだ。

今回は作家としての仕事と編集者としての仕事、作家としての死と編集者としての死の話だった。
天神先生がヤヤのゴーストライターとなるルートを選んだのって、先生の精神的な軸足が作家よりも講師のほうに比重があるっていうのも関わってるんじゃないのかな。だからこそ、ヤヤという凡人でしかない中学生ラノベ作家の未来を活かすための方法として、という考えが出てきてしまった。結果、ヤヤという少女のプライドを考慮に入れそこねた。もしくは、星花という才能のある人間とは違う凡人仲間として受け入れられる可能性があると考えてしまった。
ヤヤが拒否ったのはタイミングが悪かったのもある。もしかしたら、本当にもしかしたら、凡作でつまらないとプライド叩き折られた直後だったら彼女も受け入れていたかもしれない。でも星花っていう書きたくて書きたくて仕方ないラノベ作家を間近で見てしまったからこそ、そんな選択肢が取れるわけがないんだよな。

初代編集、個人的にはあんまり嫌いじゃない。才能の奴隷というだけあって、実際この人は面白い物語に魅入られているし、それを世に出すために自分の身を粉にするのを厭わない。網走の直後に沖縄に行き、更に箱根に飛ぶのだって躊躇しないし、その間に企画書も読む。3年ルールなんて契約書にすら書かれてない作者を縛るためでしかない慣習に真っ向から文句をつける。

「『面白さ』だけは、理屈じゃない。どうしたって、理屈じゃないんだ。その論理化できない論理のために、編集者は汗水垂らして働いているんだよ。才能の奴隷は、面白さには逆らえないから」

初代編集はこの発言に反する行動をなにひとつしてない。よくわからない面白さのためにしべりちゃんを言葉でボコボコにするのも含めて、ものすごく一貫していた。

現状天神先生は3巻打ち切り作家なわけで、そういう作家の本って読者側からしても「また打ち切られるのかなー」といういくらかの警戒心を持って読まれる。すでにシリーズを出した作家って「こういうシリーズかな」「こういうキャラクターが来るのかな」っていう予測をつけられた上で読まれる。そうじゃない、ほぼまっさらな新規気鋭の中学生作家の名前を騙るのは、そこらへんを回避して天神先生の新しい面白い物語を世に出すためにはある意味ひとつの方法だよなとは感じた。
今までの巻で散々言われた通り、才能なんて無限に垂れ流される源泉じゃなくていつかは限りある枯渇するものなわけで、天神先生はそれを活かせてないわけで、方法としてはまっとうではないし、バレたら全員炎上祭りで作家生命どうなるかわからんとはいえ、一つの手ではあったよな。
名前を変えることで「こういうキャラクターが来るのかな」「こういうシリーズかな」という今までに作家についた色や想像を消すっていうの、有りなんじゃないのかなと考えてしまった。

本当にあの初代変種は天神先生の本を読まずに「天神先生らしくもない」って言ってたのかな。もし、もし天神先生は俺らしさを詰め込んだと思っていたのに、読んだ上で初代編集があの感想を出しているとしたら、初代編集が飲む場所を歌舞伎町からバーに変えたように、天神先生も変わってしまってあの頃には戻れないってことだろう。

ところで、天神先生が作家の死について話してたけれども、実際作家の死ってなんなんだろう。名前を変えてしまえば読者は追いかけられないと思ってる作家もいるけれども、時々別名特定されてる作家もいるよね。同人やってると、この文章とこのヘキ……あなた◯◯ってジャンルでAB書いてませんでしたか!?っていうの何度かある。
作家の死、ひいてはその作家をその作家と特定するものってなんなんだろう。

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